読書その後

「悼友紀行―三島由紀夫の作品風土」は、読了致しました。
次ぎなに読もうかと思ってヘニョヘニョしてたけどこれにしました。
山崎闇斎本どす。

山崎闇斎の世界

山崎闇斎の世界

「内容(「BOOK」データベースより)
朱子学への峻烈なコミットと、垂加神道の開祖としてナショナリストの気概―近世という時空において二つの問題を引き受けて一致させようとした日本思想史上の巨星の著作を丹念に読み解き、その思想がもつ強度と深度を描き出した本格的入門書。 」

山崎闇斎が、なんで土佐と縁が出来たのかなろ思ったら山内一豊の義子湘南和尚と出会いがあったんですね。
湘南が、闇斎を妙心寺に連れ帰りそこで野中兼山に会ったと。
野中兼山 - Wikipedia

「野中兼山(のなか けんざん)本名は良継(よしつぐ)。元和元年(1615年) - 寛文3年12月20日(1664年1月18日))は、江戸時代初期の土佐藩家老。
南学の儒者であり、殖産興業を実践した先駆的な政治家。事業は潅漑、築港、社会・風教改革、各種産業の奨励等、多岐にわたり、明治維新にいたる土佐藩の経済的基盤を形成した」

野中兼山の母の葬儀&お墓についても書いてあります。
朱子の著した「家礼」の規定に沿って亡母の喪礼を実行した。
母の墓所は帰全山。千人の役夫をもって築かれました。
母の死に際し、儒葬(儒教による葬儀)を行って切支丹の嫌疑を受けたと『ウィキペディアWikipedia)』にもありますが当時としてもこの葬礼は浮いてたみたいですね。

帰全山は、今は公園になってます。
帰全山って名前も山崎闇斎がつけたのか。そっか。
こちらにも、載ってますね。
   ↓
帰全山公園